家にいながら月10万稼ぐ方法

家にいながら月10万稼ぐ方法

はじめまして。藤川と申します。

 

 

誰もが言うアフィリエイトの最大の魅力。

 

 

それは初期費用がほとんどいらないこと。やろうと思えば0円でもできます。

 

 

学歴も全く関係ない。

 

 

主婦と母を両立しながら、家にいながら月10万くらい稼ぐことも十分できる。

 

努力次第では10万といわず、いくらでも稼げます。 専業主婦で、人知れず1か月100万以上稼いでいる人もたくさんいます。

 

 

最初の半年こそ1円も稼げませんでしたが、やりだして今年でもう5年。

 

 

初めは月5万稼ぐことを目標にがんばっていましたが、今では最低でも30万/月は必ず稼げるようになりました。

 

 

稼げはじめて2年ほどしたところでサラリーマンをやめて田舎にいき、のんびりお野菜を作ったり、小川で泳いだり、お散歩をしたり、釣りをしたりと、となりのトトロみたいな生活を送りました。

 

 

その後地元に戻って結婚。

 

 

いまは主婦をしながらネットビジネスを続け、家事を楽しみつつしっかり稼いでいます。

 

 

 

とりあえずは、ここまできた私の道のりをご覧下さい→こちら

 

 

 

 

 

 

 

さてさて話は戻りますが、私がまだサラリーマンだった時代に副業を探していたところ、興味をひかれたのがネットビジネス。

 

 

それも化粧品や健康食品などを自分のサイトで紹介して、売れたら手数料をもらうという「サイトアフィリエイト」です。

 

 

それこそ初めはサイトを作り、育てていくという超地道な作業が必要で、くじけかけたことも1度や2度ではありません。

 

 

おまけに半年間は収入0円。

 

 

 

その後記事の書き方なんかも慣れてきて徐々に売上が発生しはじめましたが、ぐんと稼ぎがあがったのは

 

 

ルレアというマニュアルを手に入れて、それに合わせてサイトを修正してから。

 

 

それからあれよあれよと報酬はあがり、今は毎月30万は堅く稼げるようになりました。

 

 

何よりもこのおかげで今の収入があります。いくら努力したって、いくらあきらめなくたって、間違った方向に突き進んでたら絶対稼げませんもんね。

 

 

 

 

 

そんなこんなで、ここまでやってきて思う「最短で稼ぐ方法」とは

 

 

・適切なマニュアルをひとつ手に入れて、それに沿って作業する

 

 

・既に稼いでいる人を真似る

 

 

 

これに尽きると言い切れます。よく言われることではありますが、ほんとに真実です。

 

私もはじめから素直にそうしていれば、もっと早くから稼げてただろうに無駄なことをしたなと悔しく思います。

 

 

 

そんなわけで最初からマニュアルを買ってそれに沿って作業するに越したことはないんですが、

 

稼げてないうちからお金を使うのはやっぱり気がひけるので、まずはハードルを低く。。。無料のもので基礎を学びましょう。

 

 

 

最初に 自由な人生を手に入れる教科書 

 

 

を読んできてください。

 

 

 

 

 

次に無料講座を作ってみたので、よかったら受けてみてください。

 

 

この講座を実践してみて、「アフィリエイト楽しい!」と思えば、マニュアルを買って本格的に始めてもらえればと思います。

 

 

無料講座は、題して「金のたまごを生むめんどりの作り方」。

 

一回システムをつくりあげれば、あとは不定期なメンテナンスだけでずっと稼ぎ続けてくれるから、というのが由来です。

 

 

 

遊んでても仕事してても、勝手に「お金」という金のたまごを産んでくれる。

 

 

月5万なんて楽勝になります。

 

 

そんなめんどりを作ってみましょう。

 

 

 

 

 

 


 

はじめて「アフィリエイト」という言葉を聞いたよ〜という方は、次は下の青いボタンをクリックして、アフィリの説明書を読んでみてください。

 

 

 

 

 

 

 

【最後に伝えたいこと】

 

以下はわたしが教えを請うている(^^)師匠のメルマガの抜粋です。和佐大輔さんという方。聞いたことがあるかもしれません。

 

私も強く思っている内容だったので、転載します。長いです。

 

 

本当に人生を変えたいなら、今の自分には難しい領域や理解出来ない領域に目を向けないと行けません。

 

今見えている領域、今理解出来る領域、今考えられる領域、今移動出来る領域、今関係出来る領域だけで、自分の人生を変えようと思っている人は、 「白馬の王子様を待つ少女」 と、同じでしょう。

 

人生を変えるのは、そんな希望観測的な出来事ではなく、いつだって、未知との遭遇です。

 

誰かがあなたの人生を変えてくれて、シンデレラのようなストーリーに巻き込んでくれたら嬉しいと思いますが、しかし、そんなことはほとんど起こらないでしょう。

 

シンデレラ/プリティ・ウーマン/花より団子... 物語はいつでも、「自分の意志とは無関係に始まり、ハッピーエンドに終わりますが」、現実は違います。

 

残念ながら、誰かがあなたをシンデレラにしてくれることはないのです。

 

 

魔法使いも、カボチャの馬車も、舞踏会も、王子様も、どこにも存在しない。

 

ただあるのは、あなた自身の選択と行動、そしてその結果です。 1年後の未来、あなたはどうなっているでしょう?

 

お金を稼ぎたい、自由になりたい、人生を変えたいと思っているにもかかわらず、その99%は 何の変化も起こせずに時間を過ごします。

 

どうでしょう? あなたの1年後の未来を想像してみてください。 既に何かしらの、自分のオリジナリティを発揮した活動を起こしている人は、具体的に1年後をイメージ出来ると思います。 しかし、ほとんどの人が、「自分が成功している姿」なんて想像もできないでしょう。

 

恐らく、想像出来るのは、 「既に成功している誰かの姿」でしょう。自分ではない。

 

結論から言うと、偽物では成功出来ないのです。偽物とはつまり、誰かのマネであり、コピーであり、テンプレート人間のことです。

 

少し社会学的な話しになりますが、「ジャン・ボードリヤール」というフランスの思想家がいました。

 

彼の著作である、 「シミュラークルとシミュレーション」 は、映画マトリックスの基礎理論に強く影響しました。

 

この「シミュラークル」と「シミュレーション」という言葉は非常に興味深いものです。

 

簡単に言えば、 シミュラークル  = 模倣品シミュレーション = 模倣 という意味です。

 

 

ボードリヤールは、資本主義の構造をこの2つの概念で説明しました。

 

僕らは何か物を買う時、もはや「使用価値」というもので判断することはありません。

 

商品を買う理由はそれぞれですが、そのそれぞれは、「何かを変えるため」ということに帰結します。

 

例えば、パソコンを買い替えるのは、スペックの違いが自分の生産能力を向上させたり、「重たい」というストレスを軽減させるからです。

 

「必要だから買う」のではなく、「変えたいから買う」わけです。 服も、食品も、家も、あらゆる消費は、必要なものに向けられるのではなく、変化を起こすことに向けられています。

 

でも、これって本末転倒だと思いませんか?

 

 

昔は、 「おなかが減ったから飯を食う」 だったのが、 「美味しい物を食べたいから飯を食う」 に、変わったのです。
必要の無いもの、必要の無い変化を欲望するようになったのです。

 

これは、 「成功」 も、同じことです。 「働かないと死んでしまうから働く」 のではなく、 「成功したいから働く」 に、変わった。

 

本来消費とは、必要だから消費するものでした。 なぜ「目的」と「行動」が逆転したのか?

 

この理由こそが、ボードリヤールが示した、シミュラークルとシミュレーションでした。

 

ボードリヤール曰く、シミュレーション(模倣)には、元となるモデル(オリジン)が必要不可欠です。 「おいしい食べ物」をシミュレーション(模倣)し、シミュラークル(模倣品)を創るには、そもそもとして、「おいしい食べ物」が必要です。

 

オリジナルモデルが無ければ、模倣することは出来ません。 で。 人類は数千年の歴史の中で、ありとあらゆるオリジナルモデルを生み出してきました。

 

そして、僕らはその生み出されたオリジナルモデルのシミュレーションである、シミュラークルを消費して生きているのです。 例えば、「パソコン」は、誰かが最初に作ったものがあって、僕らが使っているのは、それの模倣品です。 つまり、 世界のほぼ全てはシミュラークル(模倣品)になったのです。

 

 

これを可能にしたのは、資本主義経済と機械化です。 資本主義経済はありとあらゆる聖域を犯し、元々は限られた特権階級のみが手に出来た「オリジン」を、一般大衆の消費対象としました。

 

わかりやすいのは芸術。 ルネッサンス以降、芸術は特権文化ではなく、大衆文化になり、資本主義の奴隷となりました。 「表現したいものを表現する時代」から、「売れるものを表現する時代」に変わったのです。 そして、テクノロジーの進化によって、あらゆるものが大量生産可能になります。

 

 

絵や音楽でさえも、写真やCDとなって、シミュラークル(模倣品)と化して行きました。 どうでしょう?

 

少し自分の部屋や持ち物に目を向けてください。 その中に、オリジナルはあるでしょうか? 恐らく、1つとしてないのです。

 

「お金で買えるもの」のほぼ全ては、シミュラークルとなり、僕らはもはや、ありもしない理由で、その模倣品を買います。 なぜなら、 僕ら人間もまた、シミュラークルと化したからです。

 

例えば、僕らが服を買うとき、その理由は「寒いから」ではなく、「オシャレをしたいから」です。 そしてその「オシャレ」とは、雑誌やテレビで見る人達の模倣であり、その雑誌やテレビに出ている人もまた、誰かの模倣なのです。

 

 

詰まる所、僕らの欲望は、「誰かが、自分よりも、際立った違いを持っているから」という“憧れ”や“妬み”によって生み出されているのです。 成功したい理由は何ですか?誰かが羨ましかったり、誰かのようになりたいからですよね?

 

 

この価値観こそが、シミュレーションされた、シミュラークルなのです。

 

特に、日本では、ホームレスでもなかなか死なない。 シカゴとか、ロシアのホームレスは、ガンガン凍死しますが、日本は暖かいのです。 僕らは生まれた瞬間から既に模倣品であり、この世界そのものも模倣品で形作られています。

 

 

そしてさらに、 インターネットが模倣を加速させています。

 

日本は戦後から、教育によって「国民の偽物化」を進めてきました。 これは、簡単に言えば、 「よく憧れ、よく消費し、よく働く人間を生み出すこと」です。

 

自分が偽物であるという不足感と、新しい消費をしなければどんどん取り残されて行くという危機感と、 その為には頑張って働くしか無いという固定観念によって、見事に、日本は経済大国へと躍進しました。

 

 

ここまで資本主義的な、シミュラークル人間を生み出せた教育は、歴史上他に無いでしょう。 そう。 日本はこれまでよく頑張ってきたのです。

 

偽物だらけの世界において、偽物を量産することで、「一部のオリジン」がコントロールしやすい体制を作り出してきた。

 

資本主義とは、簡単に言えば、「憧れ」と「模倣」の2種類の要素によって成り立っています。

 

 

「憧れを生む側」が経済的な成功を収め、「憧れを模倣する側」がひたすら消費を行う。 しかし、一見単純に見えるこのシステムも、インターネットの登場によって、立場が逆転しようとしています。

 

 

インターネットによって、僕らは過度な模倣のサイクルに突入しました。 模倣が加速するとどうなるのか?

 

 

それはつまり、「憧れの形骸化のスピードが上がる」ということです。 流行り、廃りのスピードアップです。 現在の日本の若者は、「無欲、無気力」だとよく言われますが、そりゃそうなのです。 だって、インターネットにアクセス出来れば、そこには「違い」がほとんどないから。

 

誰もが平等にYoutubeを楽しめ、誰もが平等に映画や音楽を楽しめる。 もはや、既にある模倣品だけで、十分に楽しいわけです。 だから別に、高級車とか欲しくない。

 

消費とは、憧れを模倣することによって、他の人との差別化を行う行為です。

 

 

模倣の加速は、差別化を困難にしました。 それを、若者はよく理解しているのです。 「努力しても、人生はそれほど差別化されない」

 

 

「物の消費」によって、簡単に満たされていた差別化が、もはや、インターネットで「無料」になり、簡単に満たされ過ぎるようになった。

 

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」 とは、よく出来た言葉ですね(笑) そして、消費者の「憧れの消費スピード」が加速すると言うことは、憧れを生む側の人間にとっても、死活問題となります。

 

消費者が最低限の生活に満足し、「憧れない、消費しない、働かない存在」となったら、それこそ、日本の経済は破綻します。 新興国に簡単に負けることになるでしょう

 

 

でも、実際問題として、今はそんな危機的な状況なのです。 ・・・・ では、これからどうすればいいのか?

 

 

答えは実は簡単です。 「憧れを消費しない・させない」ということです。

 

これまでの資本主義経済は、ファッションや流行などの、「消費を助長させる形」で、成長してきました。 しかし、もはやそれにも限界が見えてきた。

 

次の時代は、より本質的に、「簡単には消費されない・出来ない憧れ」を生み出し、それを目指すと言うことです。 僕は別に、 ・憧れを生む側・憧れを消費する側 の、どちらかが「悪い」と、言っているわけではありません。 「経済とはそーゆーものである」と、言っているわけです。

 

消費者にとって、憧れは活力です。 僕らのお父さん世代の人達は、「夢のマイホーム」に憧れて、頑張ったわけです。 憧れは、人間社会にとって必要なものなのです。 でも、それが今、失われつつある。 いくら勉強して、いくら条件のいい企業に就職しても、幸せとは限らない。 日本自体の未来が危うい。

 

 

こんな、憧れを失った、ニヒリズムに毒されているわけです。 だからこそ、僕らは何かに憧れるべきだし、憧れを生み出すべきなのです。 そしてそれは、これまでのように、「簡単に消費され尽くしてしまうもの」であってはいけない。

 

僕はずっと、 「ライフスタイルを提案し、ヴィジョンを掲げ、共に歩め」と、色々な音声や教材で語ってきました。 そう。 究極的に言えば、 死ぬまで達成出来ない理想の中で生きるということが、僕らに活力を与え、消費を活発化させ、経済を成長させる、次の成長曲線となるのです。

 

 

もちろん、究極的なので、「死ぬまで達成出来ない」と言うのはかなりマッチョな発想ですが、簡単に達成出来たり、飽きられる憧れに意味は無いのです。 ・・・・ 本質的な憧れを生み出すことが成功すること。

 

 

これが、インターネットが発達し、あらゆるものがシミュラークルとなり、模倣が加速した世界で成功する唯一の方法です。 成功とは、差別化のことです。

 

なぜなら、憧れはその「差」から生まれるから。 お金、知識、経験、スキル、持ち物、人脈、あらゆるものの「差異」を大きくして行くことで、初めて憧れは生まれ、憧れられる人間のことを成功者と呼びます。

 

「お金持ち」だけが成功者ではないですよね? しかし、残念なことに僕らは、長年の日本教育によって、「偽物」として育てられてきました。 「誰かの模倣をすること」以外に、自分自身に変化を起こす方法を知りません。

 

だから、インターネットでお金を稼ぎたいと考えるほとんどの人達は、「成功者のマネをすること」で、成功者に近づけると考えています。 ・・・・ どうですか? 矛盾を感じませんか? インターネットは模倣を加速させました。 つまり、「成功者のマネ」も加速させたのです。

 

 

「差異の大きさ」が「憧れを生む」のに、皆が同じように成功者のマネをしたら、差異なんて生まれないと思いませんか? いくら努力しても、大した違いは生まれないのです。 「成功する方法」は、学校で教えられてきたことの真逆です。テンプレートを売っている人達は、たぶん、それが長期的に見れば自分の首を絞めていると言うことに気が付いていません。

 

 

現状の、インターネットビジネスの世界は、20年前の大学に似ているでしょう。 「高学歴=高収入」 という幻想を追い求めて、短期的な消費に走った。
「高学歴だから成功したモデル」をシミュレーションし、シミュラークルとして市場に投げたのです。 その結果、20年経った今では、それが偽物でしかなかったことが明らかになった。

 

ネットビジネスも同じです。 「秘密の情報=成功」 という、シミュラークル(模倣品)を生み出し、消費させることにフォーカスしている。

 

 

秘密は、誰も知らないから秘密なのに。 どうでしょうか? 少しずつ、成功出来ない人や、何年経っても一向に収入を増やせない人の陥っている負のロジックが見えてきたと思います。 何度でも言いますが、 「偽物は成功出来ません」

 

 

じゃあ、どうすればいいのか? 最も肝心なことですが、これも至極簡単なことで、「憧れを生み出すオリジナルになれ」ということです。 これ以外に方法はありません。

 

 

そして、これも何度も繰り返しますが、「簡単に消費される憧れを生み出すな」ということです。

 

 

「新しいライフスタイルを提案し、ヴィジョンを掲げ、共に歩む」

 

これだけのことなのです。 これを、 ネット上に適切に表現し、広めれば、憧れが広がります。

 

 

誰かのマネをすることではなく、自分のオリジナリティを見つけ、育て、表現し、解放する必要がある。

 

誰かのマネは、あなたをよりシミュラークルな人間にします。 偽物です。 残念ながら、偽物のままでは、搾取され続けるか、無気力になるか、残された道は2つに1つです。

 

僕らは成長する過程で、どうしても誰かのマネをして、そこから自分を形成して行きます。 「学ぶ」の語源が、「真似ぶ」であるように、これは仕方が無いことです。 テンプレートを売っている人はよく、成功者のマネをすることが成功の近道だと言いますが、そうではなく、 マネを超えることで成功は手に入るのです。

 

 

成功者のマネは、50年前なら通用したでしょう。 でも、模倣が加速するこの時代では、通用しません。 マネを超えて行きましょう。 僕らは、オリジンにもなれるのです。シミュラークルとオリジンの違いは何か?

 

 

それは、 オリジンは死ぬことが出来るということです。 70億人いる人類の中で、差異を大きくし、唯一無二の存在となったとき、その存在は「初めて死ぬこと」が出来るようになります。 意味不明ですか?

 

だって、人間は死にますからね(笑)

 

 

でも、シミュラークルな人間は、「他にいくらでも代わりがいる」という点において、死ねないのです。

 

 

「死」とは、「再生不可能な事象」だと言えます。 もう二度と繰り返せない。

 

だから、シミュラークルな人間は、その肉体が滅びようが、「他の同じような人間」によって、再生されます。

 

ユニクロで大量生産されたTシャツを1枚破っても、世界には何の意味もありませんよね? これと同じことなのです。 しかし「世界最古の現存する衣服」は、破ったら死にます。 もう二度と再生出来ない。

 

 

僕ら自身も、極論を言えば、そんな人間になるべきです。 少なくとも、自分の生きているコミュニティの中では。

 

 

あなたの家族や友人は、あなたの死後、その尊さを忘れないでしょうか? 「誰かの死」を思い浮かべてください。

 

 

あなた自身、誰か身近な人が死んでから、その人のことを語り継いだでしょうか? 子供に聞かせたでしょうか? 恋人に話したでしょうか?

 

 

オリジンとは、語り継がれるものなのです。 なぜなら、僕らはシミュレーションとシミュラークルの世界を生きているのだから。 オリジンモデルは、必ず複製される。 僕ら自身が、オリジンモデルとなれば、それは語り継がれます。

 

例えば、「親戚の変なおじさん」の話をするように。 オリジンな人間は、死ぬことが出来るのです。 死によって、語り継がれる。 シミュラークルな人間は、例え肉体が滅んでも、他に代えがいくらでもいるから、語り継がれることはありません。

 

まるで、まだ生きているかのように、何の尊さも感じないのです。 残念ながら、ね。 まあ、流石に、家族には語り継がれるでしょう。 墓もあるし、仏壇もあるから。 でも、ほとんどの人は友達にさえ、語り継がれることはありません。

 

 

再生不可能なのです。 そこに意識を向けて、何かを感じ取らないと、もったいないと思いませんか? そして、もし、その瞬間にしか出来ないことがあるなら、やりましょう。

 

 

 

 

 

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